英語勉強法はゴールをどこに設定するか次第?

英語の勉強法について、いろいろと効率的な方法を考えています。

 

で、結局のところ、英語を使って何をしたいか、どんな風に英語を使えるようになりたいか、それが全てなのかなぁと思い始めました。結局、ゴールが違えば、勉強法も違うんだろうなと思います。

 

というのは、私が一番、英語力がのびた!と感じているのは、高校生のとき、留学を決めてプレスクールに入り始めた頃じゃあないかと思います。あるサークルに入ったときに、日本人の留学生がいたのですが、そのときの私から見ると「なんてこの人は英語がぺらぺらなんだろうuri201012_012.gif」って驚いたんです。でもその3か月後、同じシチュエーションになったとき、ふと気がついたんです。「あれ?この人ってそんなに英語ができるわけじゃあないんだ……」。ものすごく発音もよくって、ぺらぺらだ!と思っていたのですが、3か月後に聞いたら、発音も日本人なまりっぽいし、それなりにたどたどしい。

 

つまり3か月でそれだけ私の英語力がのびていたってことなんだと思います。そのときに思ったのは、な~んだ英語って簡単なんじゃんってことでしたmai201107_031.gif

あのときはのびる一方でしたから、3か月でこれだけできるようになるんだったら、中高6年間あったらもっと出来るようになってるはずじゃん!!!と少し悔しかったのを覚えています。もちろん、スタートがかなり下の方だったということもあって、のびしろが大きかったんだと思うのですが、そんな風に感じたんですね。何をやっていたかっていえばもう簡単、英語漬けだったんです。高校の授業ですが、全部英語で行われているわけですから、ずっと英語を聞いてます。毎日宿題で小論文が何枚も出るので、英語で文章を書いていましたし、もちろん、先生との会話も英語。その頃は日本人の留学生友達とも英語で話していました。英語が出来るようになりたくて。それでも、今よりできなかったんじゃあないかなぁ、ひょっとすると自分の意思を伝えることは今より上手だったかもしれませんが。

 

私の今の英語に関しての目標は、やっぱり「普通に会話する」ことです。英語を日本のように話したい。漠然としていてこれが一番難しい目標なのではないかとも思うのですが、そうしたいので、そこはまげない(笑)とすれば、やっぱり英語漬けになるのが一番よいのではないかなぁと思います。

 

ただもう一つ目標があって、私は日本の児童書が大好きです。すてきなものもたくさんある。それが英語になって世界に出て行ったらすてきだなと、とんだお節介を思っています。その手伝いができたらうれしいなとも思うんですね。だから翻訳という分野にも興味がある。これは私が考える英語を日本語のように使えるようになるとはかけ離れています。

 

なぜそう思うかっていうと、仕事で英語を日本語字幕にしなくちゃいけないときがあるのですが、「こんなニュアンスなんだけど、うまく日本語にならない」ってことがあるからなんですね。これだ!と思う和訳に出会えない。英語力も日本語力も足りないし、翻訳する能力も足りないのでしょう。これは日本語で勉強した方がどうもよさそうです。

 

私は子どもの頃、ヒッポファミリークラブという多言語サークルにいました。これはひたすらシャドーイングをする会で、その頃、全く抵抗がなかったというと嘘になります。でも確かに赤ちゃんは言葉のシャワーを浴びながら育つ、だからあれはあれで、ありなんだろうなぁと思います。小さな子どもたちが多言語を使い分ける(少なくとも私以上に話せていました)姿を見たときに、感動したものです。「会話」だけが必要ならば、ひたすらシャドーイングをやるのも手かもしれません。ちなみに、彼らは、十分にシャドーイングができるようになってから、文字を学ぶ、日本語を習得するときと同じようにやっていました。

 

どんな方法にしたって、それぞれのゴールをどこに設定するかによって、効率的だったり、優先順位が高い低いがあったりするんじゃあないかなと思います。好みもあるでしょうし、向き不向きもある。どのくらいできるようになりたいか、どんな風に使いたいか。いろんな意見を聞きながら、試していけばいいんじゃないかな、なんて思ったりしている今日この頃です。あぁでも大きく反省しているのは、恥ずかしいとか間違っちゃったらどうしようとか、そうやって言葉に出せない(今も英語ブログが更新できないのはそれかも)ことでしょうか。

 

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